K耕地改良記念碑(こうちかいりょうきねんひ)
 
高座郡海老名町耕地事業竣功記念碑

 

 東西2q乃至(ないし)0.7q、南北約5qに及(およ)び櫛状(くしじょう)をなす広大な海老名耕地は、1300年前大化の改新の際、条里制(じょうりせい)を施した湿田(しつでん)であったが、昭和153月相模川左岸用排水改良事業の完成により、古来の旱水害(かんすいがい)を全く防止し得るに至ったので、町民は更に暗渠排水(あんきょはいすい)区画整理等を施行して耕地の乾田化(かんでんか)を計った。時、偶々(たまたま)相模川河川統制事業の進捗(しんちょく)に伴い、相模湖底に沈む勝瀬(かつせ)部落の移転とも関連し、同161月海老名町耕地整理組合を設立し、県営を以て本工事を進める事となった。然るに忽ち(たちまち)こう古の大戦(太平洋戦争)に際会し、資材の欠乏と労力の不足に依る作業の困難は筆舌(ひつぜつ)につくし難いものがあったが、県営事業所長 船戸廣次(ふなとこうじ)氏、組合長 望月珪治(けいじ)氏初め関係者の不屈の努力は、よくこの困苦を克服し同203月 52萬(まん)2千円の経費を以てその工を竣わった。次いで直ちに組合営を以て各田区の整地及び254ヵ所の架橋並びに井堰(いせき)掛桶(かけおけ)伏越等の工事に移り、戦後の苦難に堪えつつ、7年の日子(日数)と急激な物価騰貴(とうき)によって増大した工費1075萬(まん)余円を要して、同27年之を終わり換地登記等の事務も今年8月を以て完了したのである。斯く(かく)て4872段歩に亙(わた)る海老名耕地は、舊態(きゅうたい)を改めて一大沃田(よくでん)となり、生産の増大は永く郷土の民生を豊かにし、国家の発展に寄与する事となった。茲に(ここ)に沿革の概要を誌して本事業完成の記念とする。

                                     1町=約1ヘクタール
                                     1反=約10アール
  昭和281012

                     高座郡海老名町耕地整理組合



海老名耕地
 


貫抜川と貫抜川水門

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