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A六刀碑(ろくとうひ) |
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六刀碑(ろくとうひ) |
江戸時代の初めに、徳川家臣の老臣であった高木主水正清秀(たかぎもんどのしょうきよひで)は5000石を賜り、中新田に居をかまえていました。家康は鷹狩りを好み、中原(平塚市)での鷹狩りの帰りに、老臣清秀の住居に寄って、時服(じふく=綿入の小袖)や雁等を下賜(げし)した、と伝えられています。清秀の子、正次の時に加増されて大名となり、所領は河内国(かわちのくに)へ国替えとなりました。
このとき、家臣のうち内田、遠藤、盛屋、杉本、鈴木、小川の6氏が中新田にとどまり近くの稲荷の森に刀を納めて土着し、農業に転じました。その功を残すため、子孫の人たちが昭和41年に建てたのが六刀碑です。
(海老名市役所・教育委員会ホームページより)
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